「無もなかりき」とは

2011/05/18 Wed 18:49

ホーキング博士が、
「天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎない。死後の世界はない。」と
インタビューで語ったとのニュース。
科学者にとってはわざわざ表明するまでもない自明のことだと思うのですが、
このような話題がニュースになるというのは、
欧米ではキリスト教の価値観が想像以上に支配的なんでしょうね。
科学的な態度としては、死後の世界があるかないかは
原理的に証明のしようがないのでわからない、としか言えないと思うのですが、
まあ個人的にも多分ないだろうなとは思います。

でも、人が死をまさに迎えようとするとき、
天国や死後の世界を信じている人の方が
ひょっとしたら死というものにより強く対峙できるのかな、という気はします。
私の気持ちが弱いだけなのかもしれませんが、
意識それ自体、つまり自分そのものが消えてなくなるというのは
やっぱりちょっと怖いというか、何だか寂しいというか..。
もちろんそれは生きているからこそ感じることであって、
客観的に見れば意識という脳の中で起きている現象が終わり、
「無」になるのでしょう、きっと。
(まあ毎晩眠りに落ちて意識が「無」になってますけど。)

ところで「無」といえば、古代インドの聖典リグ・ヴェーダの
「その時(太初において)、無もなかりき、有もなかりき。...」
(「リグ・ヴェーダ讃歌」辻直四郎訳 岩波文庫)
という一節は、何だかすごい言葉だなあ、といつも思い出すたび頭がくらくらしてきます。
「有」か「無」かではなく、「無もなかった」と言うことなので...。
これは一体どういうことなんだろう?
単に「有」か「無」かを認識する主体がない状態を
「無もない」というふうに言っているのでしょうか?
何しろ古代インドのことなので、そんな単純な話ではなく
もっと計り知れない深遠な感覚で世界を見ていたような気がするけど、
どうなんでしょうね?...まあいいか。
誰か詳しい人がいたらご教示ください。

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