朝日新聞の読書欄に「よみたい古典」という連載記事があります。
しばらく前の回は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」ということで、
女優の裕木奈江さんが「銀河鉄道の夜」についていろいろ語っています。

私が「銀河鉄道の夜」を初めて読んだのは十代の半ば頃でした。
子供のときから星や宇宙が大好きだったのと、
その年頃の気分もあったのかもしれませんが、
夢の中を旅しているような幻想的で色彩豊かな世界に一気に引き込まれ、
私にとっては生涯心に残る宝物のような存在の物語になりました。

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死者を黄泉の国へ送っていく列車、
そしてその列車の乗客となってしまった親友の死出の旅に同行して
天の川や星座を巡る、というイメージがあまりにも美しく、哀しく、
全編に渡って主人公の少年ジョバンニの気持ちに痛いほどの共感を覚えました。
寂しさや劣等感を抱え、時にちょっとすねたりしつつも、他者の幸福を心から願い、
「ほんとうのさいわい」を考えてしまう心が愛おしいです。
鳥捕りの男に対してジョバンニが抱く複雑な感情も、
子供の頃自分も確かにこんな気持ちに覚えがあるような気がするし、
客船の沈没事故で死んだ青年との会話の場面で、
ジョバンニが2度繰り返して言わなければならなかった
「...そんなんでなしに、たったひとりのほんとうのほんとうの神さまです」
という痛切な言葉には胸を衝かれました。
大人になってからも何度か読み返し、
もちろん十代に読んだときとは違う印象を持ったり、
昔は見えなかったことも見えてきたりするようになりましたが、
読後の深い余韻は初めて読んだときと変わることがありません。

ところがこの連載で紹介されている読者の投稿によると、
意味がよくわからないという方も結構おられるそうで、何だか意外な気もしました。
確かにファンタジー、童話の形はとっているものの、
賢治の宗教思想や世界観がちりばめられた集大成のような作品なので、
この作品を解釈するのは一筋縄ではいかない難しさもあるかもしれません。

裕木奈江さんはさすがに賢治ファンとのことで、
背景も含めかなり読み込んでおられるようですが、
一つとても面白いコメントがありました。
作中、いたちから逃げて過って井戸に落ちた蠍が、溺れ死ぬくらいなら
いたちに体をくれてやれば良かった、と悔いる心情に共感して、
「…私も死んだら、使える臓器は使ってもらい、残りは堆肥にでも
なんでもして欲しい。倫理としてではなく、リサイクルという意味で。」と語っています。
こんなことを言う女性はちょっと珍しいような気がして、
何だかユニークで面白い人だなあ、と彼女のことが気になってきました。

裕木さんといえば昔アイドルで可愛かったし結構好きでしたが、
近年はデヴィッド・リンチの映画にも出たりして、海外でも活躍されているそうです。
写真も撮っているそうなのでちょっと見てみたら(→)
美しく魅力的な写真がたくさんあります。構図も決まっていて上手いですね。
裕木さんが最近出ている映画をググってみたら、今年公開された
「レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー」というのがありました。
アイスランド初のスプラッター・ホラー映画ということで、
予告編を観てみたら…うーん、面白そうだけどかなりエグい…。

というわけで「銀河鉄道の夜」に話を戻すと、
この作品を読むと否が応でも「死」について考えさられます。
賢治は最愛の妹のトシを病気で失い大きな衝撃を受けたのですが、
それがこの作品の成立に大きく影響しているいう説もあるようです。
そういえばトシの死を詠った「永訣の朝」という詩も
中学の国語の教科書で読みましたが、その悲痛な内容がとても印象的でした。
でも「銀河鉄道の夜」は哀しみだけで満たされている訳ではなく、
それを振り切るかのような希望や喜び、幸せも感じられます。
いつか自分も死んだら銀河鉄道に乗って星座を巡るのかな、とか想像してみると、
やがて迎える死というものも少しだけ楽しみな気もしてくるのです。

裕木奈江さんと読む「銀河鉄道の夜」(上)
裕木奈江さんと読む「銀河鉄道の夜」(下)

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