ユジェンバフチャル1

ユジェン・バフチャル(Evgen Bavcar)という写真家を初めて知ったのは、
芸術新潮2005年9月号の写真特集でした。
とても興味を持ち、いい写真集が出ているようだったので
手に入れたかったのですが、なかなか入手困難でした。
先日、いつもお世話になっているKさんが
海外のショップから写真集をやっとゲットしたとのことで、
貸していただいてようやく見ることができました。
Kさん、いつもありがとうございます!
というわけで借り物で記事を書かせていただいています。

ユジェン・バフチャルになぜ興味を持ったかというと、彼は盲目の写真家なのです。
盲目の写真家?一体どうやって写真を撮るのだろう?
という疑問が当然湧いてきたのですが、まずそれ以前に何よりも
誌面で観た彼の写真がどれもとても魅力的でした。
今回お借りした写真集も、心惹かれる写真が多数掲載されています。

バフチャルは1946年スロヴェニア生まれ、10歳のときに事故で左目を、
さらに翌年地雷の事故で右目を傷め、徐々に視力を失い
13歳の頃には完全に失明してしまったそうです。
13歳までは光のある世界に生きていたということなので、
彼の中にはきっと少年時代の記憶の光景が
大切に保管されているのではないでしょうか。

この写真集のタイトルは「Nostalgia Della Luce」
出版社がミラノのようなのでイタリア語?
訳すと「光のノスタルジア」...
まさにバフチャルという写真家にぴったりのタイトルだと思います。

ユジェンバフチャル4


風景や街を撮った写真もありますが、バフチャル独特の撮影法として、
被写体を暗闇に置いてシャッターを開放にし、
彼が手を置いたりして指示した部分にスポットライトをあてて
多重露光で撮影するという作品群があります。
例えば女性のモデルと、その体に置かれた彼のたくさんの手が同時に写り込み、
何ともいえない官能的な写真になっています。
他にも同じようなやり方で撮影したと思われる、
白い紙で作ったツバメがいくつも夜の闇の中に浮かび上がっている写真など、
暗闇の中にぽっかりと重層的なイメージが浮かび上がるような作品が多いです。

ユジェンバフチャル2

ユジェンバフチャル3

バフチャルの写真を眺めていると、例えば夢の中で行った場所のように、
ぼんやりとしか思い出せないけれど妙に鮮烈な印象だけが残っている、
そんな光景を見ているような気分になってきます。

ところで彼にとって、写真を撮るという行為にはどんな意味があるのか?
自分では見ることのできない写真をなぜ撮り続けるのか?いろいろ考えてみました。
次回へつづく)

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コメント
No title
こんにちは、北國男です。最近、雑事に追われて初コメントする機会を逃してたんですが、さすがにこの記事は元ネタが自分のものだけに一言、書き込みさせてもらいました。自分も彼の作品を見る度に、色んなことを思うのですが、途中失明という不幸にも拘らず、やはり彼はミューズに祝福されたアーティストだと強く感じます(先天的に視力が無い方には、彼のようにモノの形を認識出来ないでしょう)。「禍福は糾える縄の如し」の諺どうり、もし彼が失明しなかったら、この奇跡のような作品も製作・発表されることは無かったでしょうし、人の運命は面白いものですね。素晴らしいアートは心に栄養を与えてくれるのですが、その一方で鑑賞者では無く、制作者の立場になってみると、とてもこんな表現は出来ないと、羨望・嫉妬・諦め等の負の感情が湧いてくるのも事実で、なかなか複雑です。それから話は変りますが、自分の音楽観を育ててくれた雑誌の生みの親、中村とうよう氏が自殺されたというニュース、とても驚きました。この年になると、死がより身近なものになってきたなと実感します。お互い、健康には気をつけましょう。それでは。
Re: No title
北さん、コメントありがとうございます。写真集もありがとうございました。
そうですね、彼の写真を見ていると、作品そのものの魅力にとらえられるばかりでなく、
表現活動の根源みたいなこととか、とにかくいろいろなことを否応無しに考えさせられます。
その2も後程upしようと思っておりますので、またご笑覧ください。
中村とうよう氏の自殺のニュースは私も衝撃でした。
一体どういう心境だったのか...一読者としても戸惑うばかりですが、ご冥福をお祈りしたいと思います。

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