素粒子論はなぜわかりにくいのか

素粒子論とか宇宙論のような現代物理学の話は好きなんだけど、素人にはやっぱり難しくて理解するのはほとんど不可能だな~と半ばあきらめている状態。それでも少しでもわかりたいものだと思って、これまでもなるべく易しそうな本wをいくつか読んではきたものの、やっぱり雲をつかむようでなかなか難しいですね。

というわけでこの「素粒子論はなぜわかりにくいのか」ですが、一般人にはあまりなじみのない「場」の考え方を易しく解説してくれていて、だいぶ見晴らしが良くなって一歩理解に近づいたような気はする..かな?
「素粒子」はビリヤード玉のような「粒子」ではなく、「場」の振動であり、それが整然とした波動として周囲に伝わるときに「粒子」のようにふるまうこと。
また、粒子のやり取りで力を伝える、といった説明をよく耳にしてきたけど、その粒子というのも計算上の便宜的なものだ、ということですっきりしたし、他の解説書の曖昧で誤解を招くような表現に対しての訂正というか注釈というか、実際の現象に即してなるべく正確に伝えようという配慮が感じられて、もやもやも少し晴れた感はあります。

とはいうもののやっぱり後半は結構難解だし、高校数学までの、それも遠い昔の自分には付録の「素粒子の計算にチャレンジ」もまるでお手上げ..。また文中幾度となく「本当は~なのだが、難しいので…」といった記述が出てきて、相変わらずハードルは高そうです。

素粒子論を厳密に理解して記述する唯一の方法は数式だけで、一般人に説明するために変な喩えを持ち出すのはかえって本質をわかりにくくしてしまう、という意見もあるらしい。
とはいえ、この本で出てくるモニタやバネを比喩にした「場」の説明、これは非常にわかりやすくて良かったです。やっぱり素人は何かに喩えて説明してもらわないと。
でも真の理解にはやっぱり数式の理解が必要、ということになると、この宇宙の真実?かもしれないもの?を垣間見られるのは、高度な知識を得た専門家だけなのか?と、ちょっと寂しい気分にもなってしまうね。

それでも、「物質」もエネルギーを得た「場」のひとつの状態にすぎない、という説明には、目からウロコが落ちて世界の見方がちょっと変わった気分になりました。
結局、「物質」も「現象」のひとつだったのか。「モノ」じゃなくて「コト」みたいな..。
そう言われても現実の生活の中でなかなか実感が湧かないのは、地球で生存する上ではヒトの脳は自分の周りを主に視覚的に、空っぽの空間の中に具体的な3次元の「モノ」があるとして認知した方が便利だし、なかなかそこから抜け出せない、ということなんでしょうね。例えば超弦理論のいう11次元の時空なんて、誰にも具体的にイメージできないですね。
でも科学的な思考や論理の力を使って、そんな風なまったく違った世界像を獲得してきたのもまた同じヒトの脳だし、その辺はまさに智の賜物というか、感覚を超えた人間の思考の特質なんでしょうね。最近たまたまYoutubeで見たリチャード・ドーキンスの講演でもこのような話がされていて、非常に興味深かったです。

そういえば仏教の「空」の思想も、この世界に実体というものはなく、全ては「縁起」という相互作用があるのみ、というような話だったように思うけど(微妙に違ってたらすいません)、何だかこの「場」という概念はそれにちょっと似てるな~、とも思った。
空の思想を大成したといわれる龍樹が素粒子のことまで考えてたわけじゃないだろうけど、最先端の物理学が描く世界像というのが、表現において2,000年も前の思索に似ているというのも面白いです。

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