前々回書いた宮本常一の「忘れられた日本人」の中に、
著者が自分の祖父の生涯について愛情を込めて書いた章があります。
ここを読んでいたら、亡くなった父親のことを
いろいろと懐かしく思い出しました。

親父は東北の農村部でずっと教職に就いていました。
私が子供の頃は山奥の小学校に赴任になり、
冬は大雪に閉ざされて通勤が大変なので、1週間学校に泊まり込み、
週末にだけ帰ってくるという時期もありました。
日曜の夕方、もう薄暗くなった頃に雪の中を寂しい気分で
バス停まで毎週見送りに行ったのを憶えています。
ある時期は特殊学級の担任になり、
知的障害のある子供の指導方法を研究していたそうです。
そのときの児童の一人だった男の人がいるのですが、
その人は卒業後、年に2度お盆と正月には欠かさず親父を訪ねて来て、
随分と長い時間近況を報告したりして話し込んでいました。
それは親父が亡くなるまで、おそらく30年位ずっと続きました。
我が家では盆と正月にその人が来るのはもう年中行事のようになっていましたが、
今思うとその気持ちをとてもありがたく感じます。

親父は山歩きが好きで、生き物や草花のことなどにはとても詳しい人でした。
ニセアカシアなどの葉で草笛を吹くのが上手で、
退職式のときに児童の前で記念に吹いて聴かせたりもしたそうです。
家では畑で野菜や果樹もたくさん育てていましたが、
それだけでは飽き足らず結構本格的に養蜂もやっていました。
自家製のとれ立ての蜂蜜はとても美味しいものでした。
週末にはスポーツ少年団でずっと剣道を教えていましたし、
かと思えば書道も得意で、子供達を集めて教室を開き、
死ぬまでずっと20年以上も無償で教えていました。
書体は質実剛健そのもので、その生真面目な文字を買われて
いつも町役場から表彰状などの賞状書きを大量に頼まれていたそうです。
亡くなるしばらく前に町から功労者として表彰されたのですが、
その表彰状も自分で書いたと言って笑っていました。
結構周りの人からの頼まれ事も多かったらしく、
今振り返ればよくそんな暇があったものだと思うくらい
いろいろなことで忙しかったようです。
親父が亡くなったときはとても多くの人がお悔やみに来てくれました。
私はずっと故郷を離れているので知らない人が多かったのですが、
中にはとても胸を打つ追悼の詩を作って送ってくれた人がいたりと、
たくさんの人の温かい心遣いには今でも本当に感謝しています。

私は18で家を離れてからは盆と正月に帰るくらいで、
大人になってから親父とゆっくり話をしたということがあまりありません。
(まあ親父と息子なんて大体そんなものかもしれないですが。)
昭和2年生まれだから戦中・戦後などはいろいろ苦労もあったと思うのですが、
昔の話などもそれほど多くは聞いたことがないです。
そして結局じっくり話をする機会もないまま、9年前に親父は他界してしまいました。

最近、親父が今の自分の歳の頃には何を考えて、
どんなことをしていたのかなあ、と考えることが多いです。
そして今の自分を振り返ってみるのですが、
全くもって他人に自慢できるようなことや
誰かの役に立つようなことは何もないなあと、若干ショボい気分になります。
まあそれはそれとして仕方がないので置いておくとして、
もっと親父といろんなことを話しておけば良かったなあ、と最近よく思います。
例えば畑やミツバチの作業を手伝ったりとか、
一緒に山歩きをしながら昔の話でも聞けたら楽しいだろうな、とか思うのですが、
それはもう決して叶わないんだなと思うと、やっぱりとても寂しいですね。
親孝行らしいこともろくにしなかったし..。

まあとりあえず明日もまじめに働こうと思います。

110710_akita.jpg

スポンサーサイト
考えごと | コメント(4) | トラックバック(0)
コメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
Re: No title
> 権俵さん
コメントありがとうございます。
まあそうだといいんですけどね...。
また飲みましょう。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
こんばんは
>TJさん
やあどうも。コメントありがとう。
わしの方は逆に親に頼られたことがあまりないせいか、
何だかいつまでも自分が大人になってないような気もするのだ。

管理者のみに表示