鈴木大拙館 再訪

2015/11/21 Sat 18:30

前回迂闊にも休館日に訪れた金沢市の鈴木大拙館、今回はしっかり開館日を確認して再訪。
あいにくの雨、しかも日の短い晩秋の夕方ということでちょっと写真が暗くて荒いです。


鈴木大拙館

内部は撮影禁止でしたが、玄関から展示室への長いアプローチ、
展示空間・学習空間は宗教思想家の記念館にふさわしい思索的な雰囲気です。
学習空間の壁や引き戸には金沢の二俣和紙が貼られ、
床の間のようなスペースには溜の漆塗の床板が置かれていました。


鈴木大拙館

鈴木大拙館

鈴木大拙館
やはりこの建物のキモは、水鏡の庭、
それに面した回廊と思索空間という正方形の部屋になるんでしょうか。
背後の緑も含めた外部への視線誘導と空間構成が見事です。


鈴木大拙館
思索空間から水鏡の庭を望む


展示物では大拙さんの筆になる「色不異空」の書が印象的でした。
「色」と「空」の字は漢字ではなく図形で書かれ、
「色」は□と△を重ねた形、「空」は◯。なるほど。

もうひとつ、「それはそれとして」の書。
大拙さんは悩み事などを相談されると、じっくり話を聞いたあとに
よく「それはそれとして..」と話し始めていたそうです。
何てことのない言葉のようで、これは結構深いような気もする。
問題に正面からぶつかるのもいいけど、それはそれとして、と
ちょっと横に置いて、立ち位置や見る角度、発想を変えてみる。
問題や悩みを消してしまうのではなく、それを抱えながらどう向き合っていくか、
それに対する心持ちや考え方を見直してみる、とか。
私の拙い言葉でこんな事を書くと、そんな単純な話じゃねーだろ、と
怒られそうですが、まあそれはそれとして。

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パリで大きなテロ、一体いつまでこんなことが続くのか?

そんな日に、録画していたNHKの「新・映像の世紀」をやっと見る。初回は第1次世界大戦がテーマ。悲惨極まる戦場の映像が、これでもかこれでもかと次々と映し出される。
パリのテロのニュースとも合わせて今更ながらつくづく思ったのは、本当に人間の歴史っていうのは、戦い、殺し合いの歴史そのものだな~、と。
考えてみると、残忍に殺しあうのはむしろヒトという動物の本質のひとつなのかも。チンパンジーとボノボは遺伝的に非常に近い種なのに、チンパンジーは好戦的で殺し合いもするけど、ボノボにはそんな行動はほとんどないらしい。人間は明らかにチンパンジーの方だね。

争いを当事者でない第三者から見てると何て愚かな、と思ってしまうし、当事者でも後になって振り返ってみれば、アレがこうなってコレがこうなって結局…と理解できるだろうけど、その時その時の状況に右往左往している人間にしてみれば未来がどう転んでいくかなんてわからないし、結局悲惨な結末を迎えるまで誰も止めることができなくなる。今に至るまでずっと世界中で戦火が絶えることは無いし、この先だって利害の対立と覇権争いがなくなることはないだろうし、謀略・策略のせめぎ合いで世界が一体どう進んでいくのかもまるでわからない。まあ専門家や政治家ならある程度予測できてるだろうし、実は国際金融資本とか軍産複合体とか、わざと戦争を起こして陰で世界を思うように動かしている連中がいる、みたいな話もよく聞くけど。

何で今まで仲良く平和に暮らしてきた人たちが、何かのきっかけである日武器をとって殺し合いを始めたりするのか?外部から争いの種が持ち込まれたとか、個々の事例は詳細に分析できるとしても、とりあえず大まかな話としては、この現在の状況、有限な富の奪い合いの結果の圧倒的な不平等や格差、根強く残る差別感情を解決しない限り、争いのない世の中っていうのはまず不可能な気がする。誰だって理不尽に虐げられていたら、例えばもし自分がパレスチナの住民だったら…と想像してみると、進んで戦いに身を投じようと考えるのも無理もないことかもしれない。

日本はこの70年間戦争をしてこなかったんで、戦争なんて関係のない遠い世界の出来事みたいについ思ってしまうけど、近年中国を念頭に徐々に不穏な空気が醸成されていってるようで、非常に危惧を感じる。でも中国政府がチベットやウイグルで今日に至るまでずっとやっていることや、尖閣や南シナ海での振る舞いを見てると、決して油断してはいけないという意見にも確かに頷ける。沖縄も中国のものだ、なんていう発言も聞こえてきてるし。武器で実際に戦う戦争の前に、経済戦や情報戦という形で実際もう戦争は始まってるのかもしれない。指導者がよっぽと上手く舵取りをしないと、本当にまた70年前のような深刻な事態になる恐れもある。
日本がこの70年間一度も戦争をしなかったというのは本当に貴重なことだと思うけど、それは単に中国が弱かったからなんだろうか?中国の国力が上がってきたら、争いは避けられないのか?避けるためにはどうすればいいのか?それとも、長い歴史として見れば70年なんてほんの少しの間の例外なんだろうか?

それから近年、やたらと日本ってこんなにすごい、みたいに自国礼賛の本や番組が多いのも気になる。戦前の昭和10年代もこんな雰囲気だったというし、むしろ社会のいろんな問題から目をそらしたいという願望や、震災や原発事故の不安や自信喪失の裏返しという一面が強いような気もする。嫌中本や嫌韓本の類がやたらと目につくのも根っこは同じか。

このまま進んでいったら、この先日本も本当に戦争をするんだろうか?
でも愛国教育が徹底されていた戦前と違って、現在の日本人のほとんどはお上に命じられて戦場に駆り出されるなんて有り得ない、と思っているだろう。となるとやはり国家としては再度洗脳、教育が必要になってくるね。国をまとめるのには外に敵を作るのが一番手っ取り早いし、日本礼賛ブームもそんなプロパガンダの一つなのかも。
今に始まったことでもないけど、対立している二つの国の国民が、それぞれ同じように相手国を敵視するように洗脳され、煽られていったら、確かにいつか戦争になってしまうだろうという気はする。

地球上で繁栄するのが生き物の目的だとすれば、協力して平和に暮らしていける社会を作った方がヒトという種にとって幸福だし利益にもなるはずなのに、なんでそうならないのか?それともそんな前提がそもそも間違っているのかな?あるいは未だヒトという生き物の知性がそこまで進歩していないだけで、いつかは平和で平等な社会が実現するんだろうか?

..などなど、まとまりもなく思いつくままだらだら書いたけど、とにかく悲惨な戦争だけは絶対に避けないと、と強く思った次第。まあ当たり前のことなんですけどね。パリにもいつか行きたいとずっと思ってるんで、安心して歩ける平和なパリに早く戻ってほしいです。

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15日はスカイツリーもトリコロールになってます
(写真は朝日新聞デジタルより借用しました)

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大瀧神社・岡太神社へ

2015/11/03 Tue 00:11

福井県は越前市の「大瀧神社・岡太神社」(おおたきじんじゃ・おかもとじんじゃ)
しばらく前にこの神社のことをWEBと本で立て続けに目にしたんで、
ん~これは呼ばれてるんかな~?などと勝手に口実をつけ、
先日福井県までちょっと遠出して見に行ってきました。

奥の院には両神社の本殿が並んで建っているそうですが、
この下の宮は両神社の共有となっているため、神社名が併記となっています。
岡太神社は越前和紙のみならず、全国の和紙業の総鎮守なんだそうです。
この社殿は天保14年(1843年)建立、重要文化財に指定されています。

大瀧神社・岡太神社

ご覧の通り屋根がかなり複雑というかやり過ぎ?というか、
破風が4層に重なり合ってにょきにょきと前方にせり出してるように見えます。
構造的には破風が4つではなくて、2つある社殿の手前の屋根が
奥の社殿に食い込んでいる形かと思いますが、いずれにしろ大瀧神社という名のとおり、
屋根がまるで瀧のようにダイナミックに流れ落ちてきているようです。

大瀧神社・岡太神社
真横から見るとこのような構造


大瀧神社・岡太神社

大瀧神社・岡太神社

大瀧神社・岡太神社
彫刻も相当見応えがあります

棟梁は大久保勘左衛門、永平寺の勅使門を作った人。
この力感にあふれ、複雑でありながら見事に形態もまとまった屋根を見てると、
棟梁のドヤ顔が浮かんでくるような気がしますね。顔は知りませんけど。


しばらく眺めていたら、先ほどから怪しかった曇り空からポツポツと雨が落ち出し、
次第に雨足が強くなってきて、しまいにはバケツをひっくり返したみたいな大雨に..。

しかしこれがまた逆に良かったというか、この強烈な屋根が土砂降りの雨に打たれ、
雨水が檜皮葺き?の屋根をじっとりと濡らして更には屋根を伝って瀧のように流れ落ちて、
それがこの力強い建築に更なる力を与えているようでした。

大瀧神社・岡太神社
大瀧神社・岡太神社
大瀧神社・岡太神社

背景の緑も水を得て生気が立ち上ってきたようで、
こんなときに昔の人は神様の存在を身近に感じたんではないだろうか?と。

大瀧神社・岡太神社
天から神が降臨してきそう

というわけで回廊の屋根の下で感心しながらしばらく眺めていたんですが、
この強い雨が一向に弱まる気配なし。
腹も減ったしもうそろそろ帰りたいんだけど、傘は車に置いてきたし、
仕方なく帰りは結構濡れながら駐車場まで走る羽目に。

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