珠洲市の法住寺を訪ねる

2014/10/30 Thu 18:51

珠洲市の結構な山奥にある吠木山 法住寺へ。
と言っても行ったのはもう2ヶ月以上前ですが。
カーナビの言う通りに小道に入っていったらそこはなぜか民家の庭で、
おばあちゃんが出てきて道を教えてくれました。

というわけでたどり着いたこの真言宗のお寺ですが、
創建は810年とかなり古く、空海の伝説がその開基の由来となっています。
その伝説とは…

空海は唐で修行して密教の伝承者として認められ、
師の恵果阿闍梨より三杵(独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵の3つの金剛杵)を授けられました。
日本へ帰ろうとしたとき、空海を妬んだ唐の僧達が追ってきて三杵を奪い返そうとしたので、
空海は「日域の地、密教有縁の所に行きて我を待つべし」と言って
三杵を東の空に投げたところ、それらは遥か空高く飛んで日本海を越え、
三鈷杵は高野山の松の木へ、独鈷杵は佐渡の小比叡山の柳の木に、
そして五鈷杵がこの法住寺の桜の木に掛かった..とのこと。
弘法大師伝説は数多くありますが、この話はスケールが大きいですね。w

法住寺

山門は江戸期の建立、それほど大きくはないですが、
時代を経て古びた佇まいが美しいです。

法住寺

法住寺

山門の金剛力士像は享徳2年(1453年、室町時代)製作のもので、
作者は京仏師の院勝と院超の2人。
院勝は京都広隆寺の毘沙門天像を作った人といわれているそうです。
こちらもかなり古びていますが、力感に溢れていて、
仏師の気迫が伝わってくるような出来映えです。

法住寺

参道を登ったところに本堂や鐘楼、ご住職のご自宅があります。
庭で作業中だったご住職に少しお話を伺い、このお寺の栞を頂戴しました。

法住寺
参道をはさんで立つ杉の大木


法住寺

ぶらぶらしてたらご住職が飼っている?黒犬が駆け寄ってきました。
撫でようとしたらさっと身をかわして逃げ、でもまたじわじわと寄ってくる、
んでまた愛想してやろうとすると離れる、という感じで、
遊びたいんだけどちょっと人見知り、みたいな犬でなかなかカワイかったです。
結局帰るまでずっと、つかず離れず後についてきました。

法住寺

この法住寺は、12世紀末から室町初期には七堂伽藍を備え60以上のお堂が立ち並び、
能登随一の霊場として非常に栄えていたそうです。
この日はあいにくの小雨でほとんど人影もなく、
この静かな山寺という風情からはそんな往時の隆盛はなかなか想像できず..。
800年前のこととはいえ、人の世の移り変わりは儚いものだな、と。

法住寺

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クチビハールの飛び地

2014/10/22 Wed 20:25

この前たまたまインターネットで見た「飛び地」の話。

国の領土が離れたところにもある飛び地は世界のあちこちに存在してますが、
インドとバングラデシュとの間にとんでもなくたくさんの飛び地が
複雑に絡み合った地域があるそうです。

インドの県名から一般にクチビハールと呼ばれているこの地域には、
インド領内にバングラデシュの飛び地が95カ所、
バングラデシュ領内にインドの飛び地が129カ所、
うち24カ所は飛び地の中の飛び地、
更には「飛び地の中の飛び地の中の飛び地」まであり、
世界最小のわずか50平方メートル(=約7m四方、15坪)の
飛び地もあるそうで、住民はとにかく不便で大変な生活を強いられているそう。
概要はWikiにも載っているし、こちらの「世界飛び地領土研究会」さんのサイト
とても詳しいんで、興味のある方はどうぞ。

何しろここでは自由に往来もできず、電気も引けず、
警察の監視も及ばないため山賊がやりたい放題、
宗教対立から来る住民の争いも絶えないという、
非常に困難な状況がずっと続いているそうです。

領土が大切なのはわかるけど、さすがにここまでくると
端から見てて何と愚かな、どうにかならんのかい、と思ってしまうんですが、
そこに昔から住んでる人たちにとってはやっぱりそこが世界の全て、
その土地に依って生きてるんだし、
絶対に譲れないところもあるんでしょうね。

まあ宇宙から眺めたら北方領土や竹島、尖閣諸島も、
なんてチンケな争いをしてるんだろ、と思うかもしれないね。
いやもちろん領土はとても大切ですけど。

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石田徹也展

石田徹也展を観に砺波市美術館へ。(展覧会は10月5日で終了)

この夭折した画家のことは何年か前に書店で画集を見て知りました。
特にこういう絵やテーマが好きというわけでもなかったんですが、
確かにその印象は強烈で、かなり心には残っていました。
日曜美術館でも何度か取り上げられていたので、
作品や作者について詳しく知っている方も結構多いかと思います。

展覧会では作者のメモやノート、メディアでの発言なんかも紹介されていたんですが、
その中でちょっと意外に思ったのが、石田さん本人は
悩んでいる自分を見せるのではなくて、
ユーモアで包んだ表現をしたい、と考えていたということ。

でもやっぱり絵を見ていると、初期には確かにユーモラスな部分がないこともないけど、
どうしても疎外感や閉塞感、圧迫されるような深い悲しみとか、その挙げ句の虚無?
みたいなものの方を強く感じてしまいますね。
老人が水辺の草地で廃車と合体して倒れている「彼方」という絵を眺めてたら、
ほんとに心の中を寒風が吹き抜けるような寂しい気持ちになってしまいました。

でも何だろうなあ…この人の絵のメッセージを正面から受け止めるには、
自分は歳をとりすぎたんかな~、と思う気持ちも少しあるかな。

石田さんは2005年に31歳で踏切事故で亡くなったそうですが、
彼の絵をこうして通して見ていくと、遺族の方に対しては不謹慎かもしれませんが、
ひょっとして自死だったのかな…と思ってしまいます。
遺作とされている絵を見ると、まさにそんな予感がして..。

彼はとにかく絵を描きたい、いつも絵を描いていたい、という人だったようで、
もう行くところまで行ってしまったんかなあ、と。
後期になると若干病的なイメージの強い絵も多くなってきて、
どんどん死へ向かって加速しつつ走り続けているような、そして遺作は
何もかも吐き出して空っぽになった自分が残ってしまった...みたいな印象。

私の勝手な想像かもしれませんが、
膨大な作品を遺して若くしてこの世を去ってしまった石田さん、
この人にとって絵を描くという行為は、いったいどんな意味を持ってたんだろうか?
などと考えながら、彼の遺した絵にじっくり向き合った秋の1日でした。

砺波市美術館
砺波市美術館からの眺め。紅葉になりかけた木々がきれいでした。

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皆既月食 2014.10.8

2014/10/09 Thu 17:26

輪島病院前にて

皆既月食 20141008

皆既月食 20141008

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