中村まりさんのアルバム2作です。
先日のブログで書かせていただいた、ロンサム・ストリングスとの
"フォークロア・セッション"で初めて彼女の歌を聴き、すっかり気に入ってしまいました。

seeds_to _grow_中村まり
2005年の2作目、"Seeds To Grow"

beneath_the_buttermilk_sky_中村まり
2009年の3作目、"Beneath the Buttermilk Sky"

どちらも彼女の歌とアコースティックギターを基本に、
曲によってギターやベース、ドラム、その他が加わる構成です。

"Beneath the Buttermilk Sky"で1曲トラディショナルを取り上げている他は
全て彼女のオリジナルで、2作ともセルフ・プロデュース、
歌詞は全曲英語で歌われています。

2作通して聴いてみて... やっぱりいいっすね~。
アメリカンルーツミュージックの乾いた土埃の香りに、
ここ日本ならではの、少しだけ湿感がプラスされたような心地よさというか、
何となく雨上がりの散歩道を歩いているような気分になる音楽です。

曲も歌もアレンジも奇をてらったようなところは全くなく、
正攻法でここまで聴かせてくれる力量はやはりただ者ではない気がします。
肩の力を抜いて、達者なギターといつも一緒に歌っている佇まいが、
何でも軽々とクリアしていくような雰囲気があっていいですね。

歌詞も彼女の人生観をにじませたような深さを感じさせます。
英語は割と易しいのですんなり耳に入ってきますが、
日本語訳も載っているのでじっくり読み込んでしまいました。
ところで彼女は日本語で自作の歌を歌うこともあるのかな?
どんな雰囲気になるのかちょっと気になる。
アートワークも全て彼女が描いた絵が使われていて、
これが見てのとおり可愛く美しく、とても魅力的です。

というわけで最近何だか気分はアメリカーナという感じで、
中村さんが無人島に持っていく10枚にも挙げている、
昔てっちゃんに借りた"Anthology Of American Folk Music"を
久々に聴いてみたりしている今日この頃。
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ハービー・ヤングさんの器

2011/07/27 Wed 00:04

もう先月の話になってしまいましたが、珠洲市の
ギャラリー舟あそび さんで「手仕事を繋ぐ展」という展示会がありました。
これは東日本大震災で被災した工芸作家を支援する企画展で、
主に益子とその周辺の栃木、茨城の陶芸作家を中心に、
木工、金工も含め12人の作家が参加して全国5ヶ所のギャラリーで開催されました。

そのうちの一人、益子在住のアメリカ人陶芸作家のハービー・ヤングさん。
ハービーさんの器に出会ったのは、同じ舟あそびさんで2年ほど前だったでしょうか。
豪快さと繊細さがうまくバランスを保っているその佇まいに惹かれ、
手に取って見れば見るほど何だか離れがたく、
ちょっとがんばって大きなコーヒーカップと八角皿を買ってきました。
以来ハービーさんの器は毎日のように出番があり、とても気に入って大事に使っています。

ハービーヤング_カップ
大きなコーヒーカップ ちなみに左の皿は九州の小石原ポタリー製

私はいわゆる民藝のスタイルが自分の感覚に合って好きなのですが、
彼の器を見ているとやはり民藝運動の巨匠、
河井寛次郎や濱田庄司の陶芸を思い出します。
堂々として、ざっくりとしていながらも品があり、
作り手の暖かさ、懐の大きさが器全体から伝わってくるようです。
何より、料理もコーヒーもとても美味しくなるのは間違いありません。
今回も少しでも支援できればと思い、お皿を2枚買ってきました。
早速、以前からの仲間たちに混じって活躍しています。

残念なことに、今回の大震災でハービーさんの工房も甚大な被害を受けたそうです。
Websiteの日記でも被害状況を見ることができますが、窯が崩壊し陶房も広範囲に損傷、
住居は住めない状態で、作品もかなりの数が割れてしまったとのこと。
舟あそび店主の舟見さんの話では(6月末ごろ伺った話ですが)、
今後の活動をどのようにしていくのか、まだ決めかねているとのことでした。
舟見さんは、ハービーさんの器が好きで応援している人がたくさんいる、
ということはしっかり伝えています、とおっしゃっていました。

ハービーさんにはこちらが無責任にがんばってなどとは言えませんが、
これからもすばらしい作品を造っていってくれたら私はとてもうれしいです。

ハービーヤング_八角皿
八角皿2種類 去年のお正月

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前回の続き)
バフチャルにとって、写真を撮るという行為はどんな意味があるのか?
自分が見ることのできない写真を撮り続けるのはなぜなのか?
感覚的に完全に理解するのは難しいかもしれませんが、
目を瞑ってプロセスを順を追って想像してみたり、
私の英語力ではなかなか難儀なのですが、
彼について書かれたものを読んでみたりしながら、あれこれ考えてみました。

ユジェンバフチャル5

目の見えない人も他の感覚が研ぎすまされて、
的確に回りの空間を把握している、という話を聞いたことがあります。
彼も撮影のときは、まず彼なりに空間を認識して、
更にサポートする人が今何がどう見えているのかを伝え、
彼はそれに従って、遠い視覚の記憶を頼りに心の中にイメージを作り上げ、
画面を想像してシャッターを切っているのだと推測します。

しかし、彼はそうして撮った写真を決して見ることができません。
撮影というプロセスの間には彼の前に確かに存在していた世界が、
プリントすると無意味なただのつるつるした紙になってしまうのです。
芸術新潮の解説には次のような言葉があります。
「写真を撮ることは…世界とのつながりをあえて断ち切ってしまう行為..」

彼は写真を撮ることはできても、作品とする写真を選ぶことができません。
それでどうするのかというと、バフチャルは友人やギャラリーの人に
写真を見てもらって、何がどう写っているか、彼らの感想などを聞き出し、
更に試行錯誤を重ねて撮影して最終的な写真を選ぶのだそうです。
つまり彼をサポートする人が彼の目になり、言葉や身ぶりなどを介在させて
バフチャルの頭の中にでき上がった写真を映し出しているということになります。

おそらく、我々が見ている画像とは違った画像が
作り手である彼の中にはイメージされているのかもしれません。
それは一体どんな画像なのだろう?
できればそれをテレパシーか何かで見てみたい衝動に駆られます。
ひょっとして脳科学が進んだらそんなことも可能になるのでしょうか?

ユジェンバフチャル6

バフチャルの言葉を私なりに解釈すると、
他者が現実に見ているもの、
それは彼にとっては幻影か面影のようなものになるわけですが、
それを通してだけ、彼は「視る」ことができる。
そしてそのようにして「視る」ことで彼は幸福を感じ、
彼の生の中にも視覚イメージが入ってくる、と語っています。
そう考えると、彼にとって写真を撮るということは
「世界とのつながりを断ち切ってしまう」のと同時に、やはり
世界とのつながりを回復するための行為ではないかとも思えてきます。

ユジェンバフチャル7

目の見える人間にとってはプリントされた写真は「記録」でもあり、
いつでもそれを見て記憶を再確認したり補強したり,
他の誰かと共有したりすることができますが、
バフチャルにとっては全て彼一人の中の「記憶」ということになります。
それはきっと移ろいやすく、壊れやすいイメージなのではないかと思います。

しかしよく考えてみると、この世に生きる誰もが
一生の間に見てきた光景を全て録画して記録しているわけではなく、
たとえそれが大切な忘れられない思い出の場面か何かであったとしても、
ほとんどの光景はやがてあやふやでぼんやりしたイメージの記憶として、
心の中に保管されているに過ぎないのかもしれません。
そう考えると、私たちにとっても「視る」という行為の行きつく先は、
バフチャルが他者の言葉を聞いて心に描いたイメージと同じく、
いずれ面影や幻影としてだけ存在していくのか、という気がしてきます。
今この瞬間見ているものを仮に現実だとすると、
私たちの見たものはすぐに過去の記憶の中の幻になっていく、
ということになるのでしょうか?

ユジェンバフチャル8

視覚と記憶についてあれこれ考えていると、
仏教の唯識のこと、更には人間の脳の情報処理のしくみは一体どうなってるんだろう?
といったことまで思いが巡ってきます。
バフチャル以外にも、世界には盲目の写真家として活動している人がいるそうです。
とにかく、この世界にはこのようにして成立している写真もあるのだということ、
そしてその作品がすばらしく魅力的で感動を与えてくれる、
という事実が私にはとても刺激的で、心を惹かれます。

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下記Websiteでユジェン・バフチャルさんの写真を多数見ることができます。
http://www.evgenbavcar.com/
http://www.zonezero.com/exposiciones/fotografos/bavcar/


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ユジェンバフチャル1

ユジェン・バフチャル(Evgen Bavcar)という写真家を初めて知ったのは、
芸術新潮2005年9月号の写真特集でした。
とても興味を持ち、いい写真集が出ているようだったので
手に入れたかったのですが、なかなか入手困難でした。
先日、いつもお世話になっているKさんが
海外のショップから写真集をやっとゲットしたとのことで、
貸していただいてようやく見ることができました。
Kさん、いつもありがとうございます!
というわけで借り物で記事を書かせていただいています。

ユジェン・バフチャルになぜ興味を持ったかというと、彼は盲目の写真家なのです。
盲目の写真家?一体どうやって写真を撮るのだろう?
という疑問が当然湧いてきたのですが、まずそれ以前に何よりも
誌面で観た彼の写真がどれもとても魅力的でした。
今回お借りした写真集も、心惹かれる写真が多数掲載されています。

バフチャルは1946年スロヴェニア生まれ、10歳のときに事故で左目を、
さらに翌年地雷の事故で右目を傷め、徐々に視力を失い
13歳の頃には完全に失明してしまったそうです。
13歳までは光のある世界に生きていたということなので、
彼の中にはきっと少年時代の記憶の光景が
大切に保管されているのではないでしょうか。

この写真集のタイトルは「Nostalgia Della Luce」
出版社がミラノのようなのでイタリア語?
訳すと「光のノスタルジア」...
まさにバフチャルという写真家にぴったりのタイトルだと思います。

ユジェンバフチャル4


風景や街を撮った写真もありますが、バフチャル独特の撮影法として、
被写体を暗闇に置いてシャッターを開放にし、
彼が手を置いたりして指示した部分にスポットライトをあてて
多重露光で撮影するという作品群があります。
例えば女性のモデルと、その体に置かれた彼のたくさんの手が同時に写り込み、
何ともいえない官能的な写真になっています。
他にも同じようなやり方で撮影したと思われる、
白い紙で作ったツバメがいくつも夜の闇の中に浮かび上がっている写真など、
暗闇の中にぽっかりと重層的なイメージが浮かび上がるような作品が多いです。

ユジェンバフチャル2

ユジェンバフチャル3

バフチャルの写真を眺めていると、例えば夢の中で行った場所のように、
ぼんやりとしか思い出せないけれど妙に鮮烈な印象だけが残っている、
そんな光景を見ているような気分になってきます。

ところで彼にとって、写真を撮るという行為にはどんな意味があるのか?
自分では見ることのできない写真をなぜ撮り続けるのか?いろいろ考えてみました。
次回へつづく)

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アートトラック初体験

2011/07/18 Mon 21:53

17日、金沢へアートトラック、いわゆるデコトラのイベントを見に行ってきました。
正直普段は全く縁のない世界で、自分のキャラにも若干合わないのですが(何だか怖いし)、
車大好きの同僚T君に誘われるまま、どれどれという感じで行ってみました。
そういえば都築響一氏も昔アートトラックの本出してたし。とか思いつつ..。

で、これがまた結構面白かったです。皆さんほんと強烈にパワーありますね。
他人に見られることを力一杯意識しつつ、自分の好きなことを
やりたい放題思いっ切りやりまくってるのが見ていて爽快でした。

110718_decotra1.jpg
派手だ...。

110718_decotra2.jpg
ボンネット型のトラック、この車体は結構古そうだな。

110718_decotra3.jpg
夜がまたすごい。

会場にはなぜか昔懐かしいオート三輪も。
そういえば小学生の頃(昭和40年代)はまだちょこちょこ走ってたなあ。

110718_decotra4.jpg


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フォークロアセッション

フォークロア・セッション by ロンサム・ストリングス&中村まり

やっぱりこのアルバムが気になって仕方なかったのでやっと購入、
最近毎日聴いていますが期待通りとても良いアルバムです。
ロンサム・ストリングスは以前ピーター・バラカン氏のラジオなどで
何度か聴いていたし、個人的にはMUTE BEATのベーシストとして印象深い
松永さんがメンバーということもあり、いつかちゃんと聴いてみようと思っていました。
それに加えて最近、SAKANAつながりで中村まりさんのことも気になっていたので..。

まずはロンサム・ストリングスの手練の技、あうんの呼吸が見事です。
アメリカルーツ音楽探究の旅に連れて行ってくれるのに加えて、
何となくちょっとねじれた、一筋縄ではいかない雰囲気が余計いいですね。
「Ghosts」がこんなに心を洗うようなスピリチュアルな曲だったとは。
中村まりさんの歌はじっくり聴いたのは初めてですが、ほんとに上手いです。
こういうルーツ系音楽にぴったりの声も素敵ですが、
堂々として腰のすわった歌いっぷりが自信に満ちていて、
聴いていてとても心地よく乗っかっていける感じがします。
かと思えば「ロッキー・ラックーン」ではとてもキュートに歌ってますね。

ほとんどがカバー曲ですが、桜井さん作曲・中村さん作詞のオリジナル曲
「Ghost Town Dance」がすばらしいです。
中村さんの歌詞が遥かな時の流れを感じさせる映画のようで、
ソングライターとしてもただ者ではない感じがします。
というわけで思わず中村さんのソロ2作も買ってしまいました。
届いたばかりなのでこれからじっくり聴いてみます。

先週の土曜日(7/9)には吉祥寺のMANDA-LA2で
中村さんとSAKANAのライブがあったようです。
こういうときは都会暮らしの人がほんとにうらやましい。
2月に出たSAKANAの最新作「Campolano」も、
聴けば聴くほどまた聴きたくなる、とてもいいアルバムでした。
たまにはこっちの方にも来て、”もっきりや”あたりで演ってくれないかなあ。

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