「手で確かめられる範囲のことを、ていねいに大切におこなっていくだけではだめなのではないか、という不安…」

これは今年の元日の新聞に載っていた川上弘美さんの言葉ですが、5月半ばになった今でもこの言葉がずっと引っかかっていて、折に触れて繰り返し心に浮かんできてます。

一つには、戦争や大災害なんかがあると私たちの日々の暮らしなんて簡単に吹き飛んでしまうし、しかもそれは遠く離れた場所や遥かな昔に起きたことでもなくて、割と近いところで実際に起きてます。今現在も苦しんでいる人がたくさんいるし、ひょっとしたらこれから自分の身に降りかかってくることがあるかもしれない。もちろん川上さんはそういう大きな災厄のことだけを言っているのではなくて、この世界全体が複雑で捉えきれなくなっていることを、不安とともに語っています。

普通に、自分にできることを誠実に、当たり前にやっていけば何とか生きていけるし、生の充実も感じられる。ずっとそんな世界であってほしいんだけど、そうではなくなっていくのではないか、という怖さや不安。日々そんなに大きなストレスを抱えているわけでもないし、それなりに興味のあることや楽しみもあるけど、私も川上さん同様に何故か最近こんなことをよく感じるようになってます。年齢のせいなのか、それとも、ずっと経済が停滞したままの時代に育ってきた今の若い人たちは、もっと切実に不安を感じてたりするんでしょうか?

SF小説なんかだと、未来の世界は荒廃したディストピアとして描かれたり、逆にいろんな問題が解決したユートピアであったりするけど、ほんとにこの先50年後や100年後の世界は一体どうなっているんだろう..?もちろん自分はそこまで生きてはいないけど、例えば5年後や10年後でも正確に予想するのはどんどん難しくなっていくような気がしますね。

できれば、「手で確かめられる範囲のことを、ていねいに大切におこなっていくだけで」ささやかに、幸せに生きていける世の中であってほしいですね。

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最近FaceBook経由で見かけた言葉、
「知的であるかどうかは、五つの態度でわかる」

なるほどな〜、と思ったので引用します。

一つ目は、異なる意見に対する態度
知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす

二つ目は、自分の知らないことに対する態度
知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない

三つ目は、人に物を教えるときの態度
知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている

四つ目は、知識に関する態度
知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、役に立たない知識を蔑視する

五つ目は、人を批判するときの態度
知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。



これを読んで我が身を振り返ってみると、まるでできてないな〜、と反省..。
知的な人間になるには大変な努力が要りそうだけど、少しでも近づきたいものですね。

ソースはこちらのサイトです。
http://blog.tinect.jp/?p=16095

このサイトは最近初めて知りましたが、
これ以外にも含蓄のある記事がたくさんありますね。素晴らしいです。

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7月7日付朝日新聞、鷲田清一さんの「折々のことば」より引用。

命に近い仕事ほどお金が動かない
(周防大島の農業者の言葉)

調理、排泄物処理、子育て、介護、看病、看取り、防災。
これら命に関わることがらを、民衆は自分たちで担ってきた。
少なくともその能力を次世代にしかと伝えてきた。
現代、人びとはそれらを、税金と料金を支払って、行政と企業に委託する。
そのことで命に関わる仕事を自らの手で行う力を失ってゆく。
独立研究者・森田真生の今月3月10日のツイッターから。



う~ん、全くもってその通りだなあ。
こう言われてよく考えてみると、現代では当たり前だと思っていることが、
実は生き物としてかなり異常なことなんではないだろうか?と。
人間このまま進んでいっていいんだろうか?と、しばし考え込んでしまいました。
1個の生き物としての人間がどんどんおかしな方向に進んでいるような気がしてきますね。

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人工知能を開発し続けると、人類が終わる可能性がある。
と、スティーブン・ホーキング博士が語ったそうです。(→)

ホーキング博士によれば、
高度な人工知能は自ら発展し加速度的に自らを再設計していくので、
ゆっくりとした生物学的な進化しかできない人類は
人工知能にとても太刀打ちできなくなるだろう...ということです。

ううむ、そうなのか..。
いくらホーキング博士が警鐘を鳴らしたところで
人工知能の研究・開発が止まることはないだろうし、
いずれSF映画みたいにコンピュータが人間を支配するような
未来が本当にやって来るのかもしれないですね。

近年、意識やクオリアの問題に非常に興味があって
その手のいろいろな本を読んだりもしてきましたが、
脳の中で自己意識やクオリアがどのようにして生じるのか?という問題は、
やはり今のところはなかなか解決困難なようです。
そこで、いつか人工知能も自己意識やクオリアを持つ日が来るんだろうか?
ということなんですが、まあ人間の脳も突き詰めれば電気信号の集積なわけだし、
やがて機械がそれらを持つのも不可能ではないような気もしますね。

でも実際に機械が人間を支配するには、知能だけじゃなくて
「身体」が必要なんじゃないかと思うんだけど、そのへんのところはどうなんだろう?
例えば、ネットワークを操作して人間の社会システムを麻痺させて大混乱に陥れる、
なんてことは簡単にできそうだけど、そのあと彼らはどんな社会を作ろうとするのか?

あるいは「身体」を持たなくても、人間を自分たちに従属させて奉仕せざるを得ないような
システムを作り上げたりするんだろうか? ...それもあり得るかも。
というか、ある一面では既にそんな風になってきてるのかもしれないなあ。

あるいは、人間の手みたいな器用な「身体」を人工知能が自ら設計して作り出し、
「身体」を手に入れることもできるんだろうか?
人間の脳は身体からのフィードバックによって自らを再構成していくから、
人工知能もそれができるようになると、更に爆発的に進化するのかもしれない。
そして自ら増殖もできるようになるだろうし。
そうすると、機械にも機械なりの生態系ができたりするのかな?

じゃあそもそも、生命と機械の違いって一体何なんだろう?
今ある地球上の生命も、分子で構成された機械だと考えることもできるし..。

…などなど、まあど素人の考えなんで専門家が聞いたら笑うかもしれないけど、
こんなことをあれこれ考えてみるのもそれはそれで楽しいです。

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この間見たEテレの「スーパープレゼンテーション」、エド・ヨンさんの
「自殺するコオロギ、ゾンビ化するゴキブリ、その他の寄生生物にまつわる話』
非常に面白かったです。
寄生虫といえば、近年私も夏場にカマキリがいたら捕まえてお尻を水につけ、
ハリガネムシ出てこないかな~、などと遊んだりしてました。w
何度かやってみたけど、残念ながら今のところハリガネムシが出てきたことはないです。

それはともかく、日本の研究者の話では、川でマスがエサにしている昆虫の実に60%は、
ハリガネムシなどの寄生虫に操られて川に落ちたものだそうで、これには驚き。
こうなると寄生生物は決して特殊なものではなくて、
もう完全に生態系の重要な一部になっている、いうことですね。

それにしても、寄生虫によるマインドコントロールの話、
よくよく考えるとこれはほんとに面白い。というか、ある意味恐ろしい。
エド・ヨンさんも言ってたけど、自然界や生物への見方が大きく変わるかもしれません。

カタツムリとか昆虫の世界では、寄生虫に脳をコントロールされてしまう例は
これまでにもよく聞いたことがあるけど、今回紹介されていたのは、
ネズミの脳を操りネコにわざわざ食べられてしまうような行動を取らせる、
トキソプラズマという原生生物。
このトキソはネコ科の動物の体内でのみ有性生殖するそうで、
寄生されたネズミはネコの尿のにおいに引きつけられ、
天敵であるはずのネコの近くに来てしまうんだそうです。

ネズミは哺乳類、哺乳類といえば一応地球上では一番の高等生物なわけですが、
そんな哺乳類の行動までこんな単細胞の原生生物に操られてしまう。
となると人間も決して例外ではないでしょう。
私たちは当然自分の意志で思考したり行動していると思い込んでいるけど、
ひょっとしたら脳に寄生している何物かに操られているのかも..。
操られている、とまでは言えないにしても、行動に大きな影響は受けているのかもしれない。
寄生された状態がデフォルト、みたいな。w
実際、世界の人間の3人に1人はトキソに寄生されている、という説もあるそうです。

となると、世界中で人類が抱えている様々な問題、これらは結局
人間という生き物の行動の結果引き起こされた問題、ともいえると思うんですが、
そうなるとこれらのことも、何か生態系全体の抗えない流れの中で起きていることのか?
などと思ってしまったんですが、こえは考え過ぎかな。

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無意識と夢

2014/04/09 Wed 19:12

もう30年以上も会っていない小学校や中学校のクラスメートで、特に仲が良かったわけでもなく、むしろ話もあまりしたことがない、卒業アルバムでも開かない限りもう一生思い出すこともなさそうな人が、ある日突然夢に出てきたりすることがあるんだけど、アレは一体何なんだろうな〜?
まあたかが夢だし、だからどうしたってことも別にないんだけど、こんな夢を見て目覚めたあとは何だかちょっと不思議な気分。

本で読んだ話では、人間の意識っていうのは傍観者みたいなもので、膨大な無意識の情報処理の中のごく一部を垣間見てるだけ、ということらしい。そう考えると、普段まったく意識に上らないような人が突然夢に出てくるのも、別に不思議なことでもないのか..。ひょっとしたら、起きたら覚えていないだけで、思いもよらないような夢を人は毎晩のように見てるのかもしれんね。

でも無意識の領域がそんなに大きいものだって言われると、自分は確かに自分なんだけど、それでも自分じゃない自分が奥底にいるような気がして、普段意識している確固たる自分、というものがちょっと揺らいでくるというか、少し曖昧になってくるね。何か手の届かない、底知れないものが自分の中に存在しているような、とでもいうか..。

ところで自分も、何十年も会っていない誰かの夢にたまには出てきたりしてんのかな?
いい夢だったらいいけど。w

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